わたしがお婆ちゃんになっても

 
 地形を使いオリジナリティ溢れる1本のラインを描く映像や、美しくて雄大な自然の景色とライダーとのアーティスティックな写真は、その作品のバックに隠された彼らのストーリーを想像しながら隅から隅まで穴があくほど眺める瞬間が最高だ。賞賛を讃える気持ちと、ちょっとしたジェラシーの混ざり合い。そういう画は色褪せることなくいつまでも記憶の中に留まり、ふと見返したくなった時のために手元に残しておきたいもので、自分もそうありたいと思うのだ。
 私はたった1本の板切れに、魅了され歓喜し、時には苦悩し人生を狂わされたひとりである(笑)。大学生の頃スノーボードと出会い、就職活動もせず卒業後ハーフパイプでプロになった。27歳の時に大腿骨を2箇所骨折する大怪我をしても気持ちは冷めることなく滑り続けて、30歳になった社会不適合者はふと気がついたのだ。“何も残していない” っていうことに。ただ続けていたからそこに存在していただけだったのだ。ごく普通(悪い意味ではなく)の人生を選ばず、誰のためでもなく自分のためにスノーボードをやってきた。だからこそ、その証を残すのだ。そして2012年、31歳の時にアラスカでおこなわれたWold Freeride Championshipsというマウンテンフリーライドの大会にスノーボード人生を賭けて挑んで2位になり、翌年同大会で優勝。これをきっかけに私のスノーボード人生は大きく変化し、突き進むことになったのである。スポンサーとの契約内容も変わり、雑誌の写真や映像の中で見てきたアラスカでスノーボードして写真を残すようになった。その写真は雑誌に掲載してもらいページをもらえるようになり、たくさんの人の目に触れるようになった。本当にラッキーな話だ。かれこれアラスカに通い続けて5年。35歳となった今、ふと振り返る。私が残したかったものはこういうことだったのだろうか?
 私が残したいのはスノーボーダーとして生きた証なのだ。私が見てきた景色や出会った人々、感じた空気や貴重な経験をもっともっと伝えたい。スノーボーダーとしてのピークは今。いやまだまだ。もしかしてちょっと過ぎちゃったかもしれない。スノーボードと生きた証を中村陽子らしく、中村陽子にしかできないことを表現しカタチに残そうと思う。
 人生を全うした時に、孫たちに「おばあちゃんはスノーボードでこんなことをしていたんだよ」と、人生と情熱を注いで残した証を見てもらいたいのだ。「ばあちゃん、すげぇや」って尊敬してもらえれば心置きなく昇天なのである。まさに自己満足の極みだ。って、人間明日死ぬかもしれないし、子供もいなけりゃ結婚もしていない35歳の女が何を言っているんだっていうのは置いといて、の話である。
 そういえば、私が死んでも骨以外に残るものを思い出した。私の大腿骨に埋められたプレートふたつの必須形見アイテムだ。

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残したもののひとつ。SMITHのB2版のポスター! 一生の宝物。

column_yokonakamura中村陽子 / YOKO NAKAMURA Facebook Instagram中村陽子
YOKO NAKAMURA

北海道岩内郡出身の生粋の道産子。2013年にアラスカでおこなわれたフリーライドの世界大会Flow Wold Freeride Championshipsで優勝。さらに2015年のアメリカで開催されたDirksen Dirbyで2位に入るなど世界を舞台に活躍する日本を代表するフリーライディングライダー。

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